プラトンのイデア論について

イデア論とはプラトンが唱えたイデアに関する学説です。

イデアはギリシャ語で「見る」という意味がある「idein」に由来しています。

本来は「見られるもの」、「姿」、「形」を意味します。

ただし同じように「見る(ideo)」と関連する「eido」という言葉があり、その過去形である「eidon」に由来する「eidos(エイドス)」という言葉もあります。

エイドスは「形」や「図形」という意味で使用されていました。

プラトンはイデアとエイドスを使い分けています。

イデアの意味については時期によって変遷が見られます。

一般的に中期の理解がプラトン哲学におけるイデアの意味とされています。

プラトンはイデアという言葉を使用して心の目や霊の目で洞察される物事の真の姿や原型に言及しました。

かつて人間の魂は天上にありイデアだけを見て暮らしていたと中期のプラトンは考えます。

一方で汚れのために追放されて肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に閉じ込められ、地上へ降りる途中でイデアをほとんど忘れたとします。

しかしイデアの模像である個物を見ることで思い出すことができるそうです。

人間が魂の内面を見つめ直し、イデアを想起すると物事を原型に即して正しく認識できるようになると主張しています。

プラトンによると想起(アナムネーシス)こそ真の認識です。

またphilosophia(愛知)とは死の練習であり、真のphilosopher(愛知者)は可能な限り魂を身体から分離開放して純粋な魂を保てるよう努力する者としています。

愛知者の魂の知の対象がイデアです。

philosophiaという言葉は明治時代に西周(1829年3月7日~1897年1月31日)が「哲学」と翻訳して有名になりました。

本来はギリシャ語のphilein(愛する)とsophia(知恵、知、智)が結合したもので、「愛智」という意味があります。

20世紀のカトリック神学者であるジャン・ルクレールによると、古代ギリシャにおいてフィロソフィアとは認識のための理論・方法ではなく知恵や理性に従う生き方を意味しており、中世の修道院でもこの用法が存続していたとされます。

プラトンの哲学ではこの世に本当に実在するのはイデアであって、肉体的に感知できる世界はあくまでイデアの似像に過ぎないとされます。

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