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ヨアキム |
彼は三位一体的な構造を世界史に適用し、歴史は3つの時代で構成されると主張します。
第一の時代は「父の時代」で地上では祭司と預言者が活躍する旧約の時代にあたります。
第二の時代は「子の時代」でキリスト以後の教会が中心となる時代とされます。
第三の時代は「聖霊の時代」です。
教会の時代は過渡的なもので、聖霊の時代になって世界が完成するとします。
ヨアキムは第三の時代に地上では修道士が中心的な存在になると考えました。
教会や国家などの秩序が廃止され、修道士たちが兄弟的な連帯によって支配する時代になるとします。
この思想は教会から問題視されヨアキムは何度も警告を受けますが、撤回しなかったため異端宣言がされることになりました。
ヨアキムはイタリアのカラブリア州コゼンツァ県にあるチェーリコで富裕な公証人の家庭に生まれました。
県都に該当するコゼンツァの学校を卒業すると司法の仕事に就きますが、放縦生活の後で回心してエルサレムに巡礼しギリシャやビザンティウムを旅して帰国します。
その後南部イタリアのルッツィにあるサンブチーナ修道院で数年過ごし、レンデとコゼンツァで伝導を開始しました。
カンタザーロ近くのコルタレでシトー会に入会し修道士となります。
さらにコルタレの修道院長となりますが、1181年に教皇ルキウス3世に解職を願い出て許されます。
修道院長を辞めた後は放浪の旅に出かけ、ロンバルディアを通って1186年にヴェローナに至りウルバヌス3世に謁見します。
南イタリアに帰還すると弟子たちが集まるようになり、1195年頃にはコゼンツァの東にあるシラ山でフィオーレ修道院を建てます。
その後は死ぬまで修道院で瞑想と著述を行いました。
ヨアキムの著書「三位一体論」は終末論を含んでおり、彼の死後である1215年に異端判決を受けます。
ただし生前のヨアキムは複数の教皇から著述の権限が与えられており、著作も認可されていました。
1220年にはフィオーレ修道院がホノリウス3世によって正統信仰を守っていると保証されています。
当初ヨアキムはシラ山やサン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレなど、ごく限られた地域で尊敬されていました。
しかし1240年以降になるとフランシスコ会の急進派がヨアキムの著作に影響を受けたため、彼の名前がイタリア全土に広まることになります。
生前のヨアキムが異端と宣告されたことはありません。
彼の著作は多くの異端史で扱われていますが、1688年にローマ教皇庁が公刊した「キリスト教の聖人に関する文書」に収録されています。
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