キリスト教の聖霊派について

・キリスト教におけるスピリチュアルとは

キリスト教には聖霊派と呼ばれるプロテスタントの教派が存在します。

聖霊派の他にも聖霊運動やカリスマ運動など似たような概念があります。

また聖霊派は一般的にプロテスタントの福音派の一種ですが、13世紀後半に北イタリアと南フランスで清貧の厳格な実践を唱えたカトリックのフランシスコ会に所属する少数派の人々もスピリトゥアル主義(心霊派、聖霊派、厳格派)と呼ばれます。

・フランシスコ会のスピリトゥアル派とは

聖フランチェスコ
カトリックのフランシスコ会はイエス・キリストのような清貧を理想とするアッシジの聖フランチェスコによって設立されました。

聖フランチェスコが理想とする清貧とは個人・共同体を問わずいかなる財産も所有せず、手工業生産と托鉢によってその日暮らしの巡礼者として生きることを指します。

しかしフランシスコ会は発展すると共に制度化され、修道院や教会など財産を所有することになります。

13世紀のフランシスコ会は教皇の個人的な恩顧により、秘跡の授与などの司牧活動で多大な収入を得るようになりました。

フランシスコ会に与えられた様々な特権は教会法でも認められるようになり次第に制度化されます。

聖フランチェスコの清貧の理想は現実から乖離したイデオロギーとなっていきました。

教皇グレゴリウス9世とイノケンティウス4世は教皇勅書を発して無所有の原則と物質的必要性の調和を図ろうとします。

それは財の使用と所有を区別して、所有は認められないが使用は認めるというものでした。

フランシスコ会が使用する財産は教皇座が所有していると解釈されるようになります。

あくまでフランシスコ会は無所有ですが、実際には修道会に寄贈された財産を自由に利用できるということになりました。

清貧の理想から乖離するフランシスコ会から、聖フランチェスコの生前の記憶を保持している人たちが次第に離れていきます。

13世紀後半には北イタリアとラングドックなどの南フランスで、ヨアキム主義の影響を受けたフランシスコ会の少数派が清貧の厳格な実践を提唱します。

この少数派はスピリトゥアル主義(心霊派、聖霊派、厳格派)と呼ばれています。

フランシスコ会は1280年頃までに主流派で緩和を推進する修道会指導部を中心としたコンヴェントゥアル派と、急進的なスピリトゥアル派に分裂しました。

コンヴェントゥアル派は清貧を法的観点から理解し、所有権の完全放棄のみで足りると考えます。そのため財の使用制限は義務ではなく努力目標であるとします。

一方スピリトゥアル派は会則の字義通りの実践を求めました。

聖フランチェスコが存命中に実践していた「裸のキリストには裸で従う」という本当の清貧を主張します。

そのため財の使用における貧しさがなければ清貧の名に値しないと考えます。

1280年以降、スピリトゥアル派はフランシスコ会内部で弾圧を受けますが後に教皇ケレスティヌス5世によって独立が認められます。

しかしケレスティヌス5世の退位後は再び弾圧を受けることになります。

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