フランスシスコ会主流派による教皇批判

・フランシスコ会による反抗

スピリトゥアル派は厳しい弾圧を受ける一方でフランシスコ会の主流派だけでなく教会に対して反抗し、教皇制度を批判しました。

教会による異端尋問が強化され監禁や火刑、修道院の破壊などが行なわれます。

ヨハネス22世は教勅を発布してフランシスコ会の特権を剥奪し、清貧の主張は異端であると主張します。

フランシスコ会の主流派も教皇を異端と非難するようになります。

さらに1328年には総長などが教皇と対立していた神聖ローマ皇帝のルートヴィヒ4世のもとに逃げ、ヨハネス22世の廃位を要求しました。

・教皇対立ニコラウス5世の擁立

フランシスコ会主流派だけでなくスピリトゥアル派も皇帝ルートヴィヒ4世と連携します。

さらにフランシスコ会員のピエトロ・ライナルドゥッキを対立教皇ニコラウス5世としてローマで擁立しました。

ルートヴィヒ4世はアナーニ事件の首謀者のひとりでコロンナ家のシアッラ・コロンナからローマ市民を代表して帝冠を受け、ヨハネス22世の廃位を宣言します。

・スピリトゥアル派の終焉

1330年に対立教皇ニコラウス5世はヨハネス22世に降伏しました。

ヨハネス22世に反対していたフランシスコ会の人々は南イタリアのナポリ王国やシチリア王国に逃れてスピリトゥアル派の残党であるフラティチェッリと合流します。

1354年頃にスピリトゥアル派の反抗は終焉を迎えることになります。

0 件のコメント:

コメントを投稿