15世紀後半の北イタリアで作られたとされています。
図柄はミラノ公のフランチェスコ・スフォルツァなどが画家に描かせました。
ヴィスコンティ・スフォルツァ版は約15デッキ存在します。
世界中の博物館や図書館、コレクターによって分散して所有されています。
現存するカードの中には1484年の日付が入ったものもあります。
ただしそれよりも古く1442年から1447年の間に作られたとされるカードも存在します。
ヴィスコンティ・スフォルツァ版はデッキごとに微妙な違いがあります。
また後のマルセイユ版とも図柄が大きく異なっており番号もありません。
大アルカナに相当するカードの配列も現在と同じかどうかは不明です。
現在の大アルカナは22枚ありますが、ヴィスコンティ・スフォルツァ版には少なくとも20枚が存在しています。
悪魔や塔のカードが欠落しており、最初からなかったのか後から散逸したのかについては意見の対立が見られます。
完全なヴィスコンティ・スフォルツァ版デッキは現存しておらず、コレクションによって同一カードを含む多くの絵札が残されているものがあります。
・フランチェスコ・スフォルツァについて
フランチェスコ・スフォルツァ(1401年7月23日から1466年3月8日)はルネサンス期イタリアの傭兵隊長で、スフォルツァ家最初のミラノ公です。
メディチ家のフィレンツェ支配を確立したコジモ・デ・メディチとは友好関係にあり、ミラノとフィレンツェは同盟を結びます。
15世紀のイタリアは戦乱状態にありましたが、ミラノ公国とフィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国、ローマ教皇国とナポリ王国の五大国が1454年に和平協定を締結しました。
ローディの和と呼ばれる和平協定によって、都市国家間が争う時代が終わります。
その後40年間にわたる平和な時代をイタリアにもたらしました。
またルネサンスも最盛期を迎えることになります。
ニコロ・マキャヴェリは「君主論」において、優れた政府の例と傭兵隊を使用することへの訓戒として度々フランチェスコに言及しています。
・スフォルツァ家について
スフォルツァ家は15世紀から16世紀にかけてイタリアのミラノなどを支配した一族です。
宮廷には学者や芸術家が集められ学芸を保護しました。ルネサンスのパトロンとして知られています。
スフォルツァとは初代フランチェスコの父親であるムツィオ・アッテンドロの呼び名です。
強制的な人物を意味しています。
ルドヴィーコ・スフォルツァ(1452年から1508年)はレオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に招いたことで知られます。
フランチェスコの4男で1476年にミラノ公だった甥のジャン・ガレアッツォの摂政となります。
その後ミラノの事実上の支配者となり、ナポリ王国の王女を娶ったジャン・ガレアッツォを追放します。
1499年にフランス軍の侵攻を受けると1500年にはノヴァーラの裏切りで捕虜となり投獄され、1508年に獄死しました。
色黒だったことから人々からイル・モーロと呼ばれます。イル・モーロとはムーア人(ベルベル人)のことです。
ベルベル人は、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住む人々を指します。
ルドヴィーコの子であるマッシミリアーノ(1493年から1530年)は1512年にミラノ公を継ぎますが1515年にフランス軍によって追放されました。
・ノヴァーラの裏切りとは
神聖ローマ皇帝のハプスブルク家はルドヴィーゴの後ろ盾でしたが、1499年にフランス王国と対立します。
ルドヴィーゴが神聖ローマ帝国に味方したため、1500年にフランス軍がスフォルツァ城を包囲しました。
スイス傭兵の裏切りでルドヴィーゴは窮地に追い込まれますが、他のスイス傭兵の好意でスイス傭兵に仮装して脱出を試みます。
ウーリ州の傭兵隊長だったルドルフ・トゥールマンは500クローネンの報酬に釣られてフランス軍に密告します。
そのためルドヴィーゴはルドルフの手勢によって捕らえられ、フランス軍に引き渡されました。
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