シャルル6世とエステ家について

・フランス国王シャルル6世とは

シャルル6世(1368年12月3日~1422年10月21日)はフランス・ヴァロワ朝の第4代国王です。

在位は1380年から1422とされています。

第3代国王シャルル5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルボンの長男で人々から親愛王、後に狂気王と呼ばれるようになりました。

1388年に親政を開始して摂政による支配を終わらせると、シャルル5世の時代に存在した有能な顧問団のマルムゼを復権させます。

マルムゼの助けを得ながら優れた統治を行ったため、シャルル6世は人々から親愛王と呼ばれます。

しかし1392年に20代半ばで精神病を発病すると治世のほとんどが家臣団やイングランドに左右されるようになります。

精神病を発病した後のシャルル6世は、人々から狂気王と呼ばれました。

・エステ家について

エステ家はオベルテンギ家に起源を持つイタリアの有力貴族の1つです。

11世紀に当主だったアルベルト・アッツォ2世がエステ辺境伯の地位を得ました。

その後子孫が地位の世襲に成功したことが家名の由来とされます。

1196年にエステ辺境伯領はフェラーラ侯爵領に改められたため、エステ家当主の称号はフェラーラ侯となりました。

1242年にはフェラーラの僭主国家体制が確立されると、400年にわたる当地が行われます。

1288年と1289年にはオビッツォ2世がモデナ侯とレッジョ侯を兼ねるようになります。

さらに1452年にはモデナとレッジョが、1471年にはフェラーラが侯爵領から公爵領に昇格しました。

エステ家は学問や美術を保護したことで知られています。

ボルソ・デ・エステは1452年に皇帝フリードリヒ3世からモデナ・レッジョ公の称号を、1471年には教皇パウルス2世からフェラーラ公の称号を授かりました。

甥のアルフォンソ1世はルクレツィア・ボルジアと結婚しています。

ルクレツィア・ボルジアはニコロ・マキャヴェリが「君主論」冷酷な統治者の好例としたボルジア家の出身です。

後のローマ教皇アレクサンデル6世であるロドリーゴ・ボルジアと愛人のヴァノッツァ・デイ・カタネイの子として生まれました。

チェーザレ・ボルジアは兄です。ニコロ・マキャヴェリは「君主論」の中でチェーザレを理想の君主として称賛しています。

アルフォンソ1世の子孫であるマリーア・ベアトリーチェは、1754年にイタリアへの影響力拡大を図るオーストリアの女帝マリア・テレジアの4男であるフェルディナント大公と結婚します。

これによってオーストリア=エステ家が成立しました。

・ミンキアーテ版タロットカードとは

シャルル6世のタロットの次に古い記録とされるのがミンキアーテ版です。

1415年にフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ公爵が秘書のトルトナに作らせたとされます。

ミンキアーテ版もオリジナルは現存していませんが後世に作られた複製が残っています。

配列順や名称、絵柄は現在の大アルカナと異なっているのが特徴です。

タロットカードの枚数や順番、名称や絵柄は15世紀にはまだ確立されていませんでした。

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