ヘルメス哲学とキリスト教神秘主義

・ヘルメス哲学とは

ヘルメス・トリスメギストスは神秘思想や錬金術に登場する神人で伝説的な錬金術師でもあります。

ギリシャ神話のヘルメス神とエジプト神話のトート神がヘレニズム時代に融合しました。

さらに錬金術師ヘルメスがヘルメス神とトート神の威光を継ぐ者とされ、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれるようになります。

3つのヘルメスを合わせる存在という意味で、「3倍偉大なヘルメス」や「三重に偉大なヘルメス」などと訳されます。

ヘルメス・トリスメギストスはエメラルド板やヘルメス文書の著者とされました。

エメラルド板はエメラルド・タブレットやタブラ・スマラグディーナ、エメラルド碑などとも呼ばれます。

12の錬金術の奥義が記されたものとされています。

エメラルド板の実物は現存していません。10世紀頃にアラビア語からラテン語に訳された写本が残っています。ヘルメス文書はヘルメティカ文書とも呼ばれます。

神秘主義的な古代思想の文献写本の総称です。

中世の錬金術師はヘルメス・トリスメギストスが賢者の石を手に入れた唯一の人物と考えました。賢者の石とは鉛などの卑金属を金に変えるための触媒となる霊薬のことです。

「ヘルメス思想」とはヘルメス・トリスメギストスのように世界の神秘を明らかにしようとする考えを指します。

・キリスト教神秘主義とは

キリスト教神秘主義は三位一体の神である父と子と聖霊を直接的に経験するための哲学と実践を指します。

伝統的な実践方法としては読書と祈り、自己制限と他者や神への奉仕が挙げられます。

キリスト教神秘主義は初代教会の頃から伝わる伝統的な実践方法です。

一般的なキリスト教の教理では、聖書を学びイエス・キリストを信じ教会の儀式に参加すると神に近づくことができるとされます。

キリストに倣うことで知性では到達不可能な霊的真理を把握しようとする点に特徴があります。

新約聖書の主な文書は西暦150年頃までに成立したと考えられています。

キリスト教が迫害を受けながらローマ帝国内で広がり、皇帝テオドシウス1世が380年に国教とする以前に成立した教会は初代教会や原始教会、原始教団などと呼ばれます。


生命の樹における10のセフィラ(球)と22のパス(小径)について

・10のセフィラと世界創造の過程

生命の樹における10のセフィラとはケテルとコクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクト、ダアトです。

神であるアイン・ソフの聖性はケテル→コクマー→ビナー→ケセド→ゲブラー→ティファレト→ネツァク→ホド→イェソド→マルクドの順に進んで世界を創造します。

ビナーとケセドの間には隠されたセフィラであるダアトがあります。

アインは無と訳され0で表されています。

アイン・ソフは無限という意味があり00で表現されます。

アイン・ソフ・オウルは無限光とよくされ000で表されています。

カバラではアインからアイン・ソフが生まれ、アイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じるとされます。

・各セフィラの意味

ケテル(王冠)は第1のセフィラです。数字は1。白色、ダイヤモンド、海王星を象徴します。

王の横顔で表され神名はエヘイエー、メタトロンが守護天使です。

最後の剣とされるマルクトと通じています。

コクマー(知恵)は第2のセフィラで数字は2です。

灰色、トルコ石、天王星、男性原理を象徴します。

コクマーは至高の父とも呼ばれます。神名はヨッドで守護天使はラツィエルです。

ビナー(理解)は第3のセフィラで数字は3です。

黒と真珠、鉛、土星、女性原理を象徴します。

至高の母とも呼ばれ成熟した女性で表されます。神名はエロヒムで守護天使はザフキエルです。

ケセド(慈悲)は第4のセフィラで数字は4です。

ゲドゥラーとも呼ばれます。青と錫、正四面体、サファイア、木星を象徴します。

玉座の王で表され神名はエル、守護天使はザドキエルです。

ゲブラー(峻厳)は第5のセフィラで数字は5です。

赤と正五角形、鉄、ルビー、火星を象徴します。天空の外科医とも呼ばれます。

神名はエロヒム・ギボールで守護天使はカマエルです。

ティファレト(美)は第6のセフィラで生命の樹の中心にあります。

数字は6です。黄色と金、太陽を象徴します。

太陽は恒星ですがカバラでは惑星と見なされます。神名はエロハで守護天使はミカエルです。

ネツァク(勝利)は第7のセフィラで数字は7になります。

緑と銅、エメラルド、金星を象徴します。全裸の女性で表されます。

神名はアドナイ・ツァバオトで守護天使はハニエルです。

ホド(栄光)は第8のセフィラで数字は8になります。

橙色と水銀、水星を象徴します。

神名はエロヒム・ツァバオトで守護天使はラファエルとされます。

イェソド(基礎)はアストラル界を表す第9のセフィラで数字は9です。

紫と銀、月を象徴します。月は衛星ですが惑星と見なされます。

裸の男性で表現されています。

神名はシャダイ・エル・カイで守護天使はガブリエルです。

マルクト(王国)は物質世界を表す第10のセフィラで数字は10とされます。

レモン色やオリーブ色、小豆色、黒の四色、水晶、地球を象徴します。

玉座に座る若い女性で表され、神名はアドナイ・メレクで守護天使はサンダルフォンとされています。

守護天使はシェキナとする説もあります。

シェキナはメタトロンと対をなす神の女性的な顕現です。

ダアト(知識)は隠れたセフィラでダートと表現されることもあります。

天王星を象徴しており他のセフィラとは異なる次元に存在します。

ダアトが存在するのは生命の樹の深淵です。

他のセフィラの完全体・共有体であるという説もあります。

悟りや気づき、神の真意などの意味が隠されています。

神の真意は基本的に隠されており、賢い者は試練として見つけようとします。

・22の小径(パス)とは

小径(パス)は各セフィラの間のことです。

全部で22個存在し、タロットカードの大アルカナと対応しています。

各小径の名称はヘブライ文字のアルファベットです。

1.アレフ:ケテル-コクマー間、「愚者」
2.ベート:ケテル-ビナー間、「魔術師」
3.ギーメル:ケテル-ティファレト、「女教皇」
4.ダレット:コクマー-ビナー、「女帝」
5.ヘー:コクマー-ティファレト、「皇帝」
6.ヴァヴ:コクマー-ケセド、「教皇」
7.ザイン:ビナー-ティファレト、「恋人」
8.ヘット:ビナー-ゲブラー、「戦車」
9.テット:ケセド-ゲブラー、「力」
10.ヨッド:ケセド-ティファレト、「隠者」
11.カフ:ケセド-ネツァク、「運命の輪」
12.ラメド:ゲブラー-ティファレト、「正義」
13.メム:ゲブラー-ホド、「吊された男」
14.ヌン:ティファレト-ネツァク、「死神」
15.サメフ:ティファレト-イェソド、「節制」
16.アイン:ティファレト-ホド、「悪魔」
17.ペー:ネツァク-ホド、「塔」
18.ツァディー:ネツァク-イェソド、「星」
19.コフ:ネツァク-マルクト、「月」
20.レーシュ:ホド-イェソド、「太陽」
21.シン:ホド-マルクト、「審判」
22.タヴ:イェソド-マルクト、「世界」

エリファス・レヴィと神秘主義

エリファス・レヴィ(1810年2月8日~1875年5月31日)はフランス・パリ出身のロマン派詩人で隠秘学思想家でもあります。

本名はアルフォンス・ルイ・コンスタンです。41歳のときにヘブライ語風のエリファス・レヴィに改名しています。

19世紀のロマン主義文学の中にフランスやドイツ、イギリスで小ロマン派と呼ばれる一派が存在しました。

エリファス・レヴィは当初小ロマン派の文芸サロンと関わっていましたが後にカバラや錬金術、キリスト教神秘主義などの研究を行うようになります。

近代ヨーロッパにおける魔術復興の象徴的な存在です。

エリファス・レヴィは魔術を理性に基づく合理的な科学であると主張しました。

古代の密儀やタロット、儀式魔術などを1体系の魔術として統括しようとします。

1854年に発表した「高等魔術の教理と祭儀」に書かれたオカルティズムに基づく神秘思想は当時のパリの人々に大きな影響を与えます。

19世紀半ばから20世紀までの魔術復興とオカルト思想を象徴する存在となりました。

「高等魔術の教理と祭儀」にはタロットカードの解説も含まれています。

同書は現代まで世界中でタロット解釈解説書の定番とされてきました。

エリファス・レヴィの影響を受けてタロットカードにもカバラ思想や神秘主義に基づく解釈が採り入れられるようになります。

エリファス・レヴィは同書の中で大アルカナ22枚とヘブライ語のアルファベット22文字の対応関係を主張しています。

過去に制作された様々なタロットカードも同書に基づいて解釈されるようになりました。

エリファス・レヴィはイギリスの人々にも影響を与えます。

イギリスでもタロットの神秘的解釈が行われるようになり、1910年にはアーサー・エドワード・ウェイトが黄金の夜明け団の教義に基づくカバラ思想・神秘的象徴を採り入れた「ウェイト版タロット」を制作しました。

ウェイト版タロットが出版されると、世界中で同様に神秘的解釈を採り入れたタロットカードが制作されるようになります。

・オカルティズムについて

オカルティズムはオカルト主義、神秘学、隠秘学や玄秘学などと呼ばれます。

本来は占星術や錬金術、魔術などの実践を指します。

一般的に近代における西洋の神秘思想や、フリーメイソンのような秘密結社における教義や世界観の実践などに適用されます。

・カバラとは

カバラはユダヤ教の伝統に基づく神秘主義思想です。

ユダヤ・カバラとクリスチャン・カバラに分類することができます。

もともとはユダヤ教徒が旧約聖書の解釈に利用していました。

ゲオーニーム時代には口伝律法を指す言葉として用いられていたこともあります。

タルムードが完成した後の6世紀から11世紀において、バビロニア地方のユダヤ人コミュニティと学塾(イェシーバー)におけるイェシーバー長の称号がゲオーニームです。

ゲオーニームは6世紀から11世紀におけるユダヤ教徒の指導者でした。

ユダヤ教において神がモーセに与えた書かれた律法をトーラーと呼びます。

一方で口伝で語り継ぐべきものとして与えられたとされるのが口伝律法(口伝のトーラー)です。

口伝律法を収めた文書群がタルムードと呼ばれます。

タルムードは多くのユダヤ教教派において聖典とされており、ユダヤ教徒の生活と信仰の基となっています。

英語に翻訳されたエルサレム・タルムードなども存在しますが、ヘブライ語のバビロニア・タルムードだけが聖典とされます。

本来カバラは律法の遵守や真意を学ぶことを目的としており秘教的な神秘思想ではありませんでした。

しかしキリスト教徒の神秘主義者によって個人的な神秘体験の追究手段となります。

ユダヤ教の伝説によるとカバラはアブラハムが司祭メルキゼデクから教えられた天界の秘密、もしくはモーセがトーラーに記述しきれなかった部分を口伝として伝えたものとされます。

3世紀から6世紀頃に体系化され始め、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされています。

アブラハムはユダヤ人の祖先です。

メルキゼデクは旧約聖書の創世記14章に登場し、いと高き神の司祭でサレムの王とされています。

アブラハムがエラム王と盟友の連合軍に勝利してソドムの捕虜と財産、甥のロトを救出して帰還した際に、祝福するためメルキゼデクがパンとぶどう酒を持って現れました。

クリスチャン・カバラはユダヤ・カバラをキリスト教に応用するために考案されたものです。

後に近代西洋魔術の論理的根拠として利用されるようになります。

主に生命の樹(セフィロト)を中心として理論が成り立っています。

カバラによると世界の創造は神エイン・ソフからの聖性の流出過程とされます。

聖性は10段階にわたって流出し、最終的に物質世界が形成されることになります。

流出過程は10個の球と22本の小径で構成される生命の樹によって示されます。

生命の樹の各部分には神の属性が反映されています。

ユダヤ教は一神教ですがカバラには多神教や汎神論に近い性質があります。

タロットとカバラはエリファス・レヴィによって結びつけられました。

両者が共通しているのはタロットの大アルカナが22枚あり、ヘブライ語のアルファベットも22文字あるという点のみです。

カバラには形成の書と呼ばれる文献が存在し、10のセフィラと22の小径の占星術配属が記載されています。

形成の書から影響を受けたエリファス・レヴィがタロットに占星術配属を応用し、タロット魔術が生まれました。

フランスとタロットカード

1392年にシャルル6世のタロットが制作されてから、90年が経過した1482年頃にはフランスの文献などの中にタロットを含むプレイングカードに関する記述が見られるようになります。

タロットカードに関する文献としてフランスで最も古いものは、1534年に出版されたフランソワ・ラブレーの著書「ガルガンチュワとパンタグリュエル」です。

この本の中の第一之書には「tarau」という記述が見られます。

フランソワ・ラブレーはフランスのルネサンス期を代表する人文主義者で、作家や医師でもあります。

古代ギリシャの医者であるヒポクラテスの医書を研究したことで有名となりました。

中世の巨人伝説を題材にした騎士物語のパロディである「ガルガンチュワ物語」と「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を書いています。

これらの物語はパリ大学や教会などの権威を風刺していたため禁書とされました。

パリ大学は1257年にフランスの神学者 ロベール・ド・ソルボンが神学部学生用のソルボンヌ寮を設立して以来、ソルボンヌもしくはラ・ソルボンヌとも呼ばれます。

12世紀前半に起源があり、1970年に第1から第13までの独立した大学群に編成されています。

ただし必ずしもソルボンの思想に基づいた教育が行われているわけではありません。

例えば第5大学の別名は「ルネ・デカルト大学」です。

現在存在する13校のうち第1から第4大学までがソルボンの意思を受け継ぐ教育を行っています。

第1大学の別名は「パンテオン・ソルボンヌ大学」で第3大学は「ソルボンヌ・ヌーベル大学」、第4大学は「ソルボンヌ大学」です。

基本的にソルボンヌ大学と言う場合は第4大学を指します。

16世紀後半にはリヨンやルーアンなどでもタロットが製造されるようになります。

17世紀にはマルセイユだけでなくトゥーロンやボルドーなど地中海沿岸地域やフランス各地でカードが製造されるようになりました。

当時の地中海沿岸は港町として栄えており、最新の技術や情報が各地から集まる地域です。

アジアやアフリカなどの文化を素早く吸収できたので、木版・銅板印刷の技術もハイレベルでした。

・ケイトリン・ジョフロイ版について

ケイトリン・ジョフロイ版タロットはフランスで現存する最古のタロットカードとされています。

1557年にリヨンでケイトリン・ジョフロイによって制作されました。

このタロットのスートは現代のものとは大きく異なります。

当時のトランプのスートと共通する3種類が存在し、マルセイユ版との共通点はあまりありません。

・ジャン・ノブレ版について

マルセイユ版タロットと同じ絵柄を確認できる最も古いものは、1650年頃のパリで制作されたジャン・ノブレ版です。

ジャン・ノブレ版のデザインが一般化して、様々なバリエーションのタロットカードがフランス各地で生産されるようになりました。

一般的にマルセイユ版と呼ばれるようになるのは20世紀に入ってからです。

グリモー社がニコラ・コンヴェル版を「マルセイユのタロット」という名称で1930年代に復刻したことをきっかけとして、広くマルセイユ版と呼ばれるようになります。

マルセイユ版タロットとは

マルセイユ版タロットカードは16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで大量生産されていました。

当時カードの一大生産地であったマルセイユの名が付けられています。

一般的にはグリモー版のことをマルセイユ版と呼ぶケースが多く見られます。

同時期のタロットカードには1557年にリヨンで作られたケイトリン・ジョフロイ版も存在します。

しかし大アルカナの図柄にマルセイユ版とは大きな違いがあるため、マルセイユ版の元祖ではありません。

現在使用されているマルセイユ版と同様の図柄は1650年頃のパリで作られていたジャン・ノブレ版が最初です。

ジャン・ノブレ版はマルセイユ版の元祖とされています。

イギリスの哲学者であるマイケル・ダメットによると、18世紀前半に占いの方法を記載した手書きの書類が最古のタロット占いの記録です。

この記録によると各カードには意味が割り振られていました。

また当時は主にゲーム用として使用されていたようです。

マルセイユ版はライダー(ウェイト・スミス)版と並んで広く普及しています。

ウェイト版とは大アルカナの配列順序に違いがあります。

マルセイユ版の8は正義で11は力です。

一方でウェイト版の8は力で11は正義となっています。

・様々なマルセイユ版タロット

Ancien Tarot de Marseille

Ancien Tarot de Marseilleはグリモー版とも呼ばれています。

バプティスト・ポール・グリモーが1848年に設立したフランス・カルタ社が、1930年代に制作したタロットカードです。

グリモー版はニコラ・コンヴェル版のデザインを現代風にアレンジしています。

名称はバプティスト・ポール・グリモーに由来しており、一般的にマルセイユ版とも呼ばれます。

Universal Tarot of Marseille

Universal Tarot of MarseilleはイタリアのLO SCARABEO社が制作したタロットカードです。

クラウド・バーデルのデザインを現代風にアレンジされてUniversal Tarot of Marseilleとして復刻されました。

クラウド・バーテル版とも呼ばれています。

Tarot Classic

Tarot Classicは1751年にクラウド・バーデルによって制作された木版タロットカードを復刻したものです。

スイスのAGM社やイタリアのLO SCARABEO社によって復刻されています。

Tarot Vieville

Tarot Vievilleは1651年ころのパリでジャック・ヴィエヴィルによって制作された木版タロットカードを復刻したものです。

ジャック・ヴィエヴィル版とも呼ばれています。

マルセイユ版の元祖とされるジャン・ノブレ版と同時期に制作されました。

Ancient Tarots of Marseilles

Ancient Tarots of Marseillesはニコラ・コンヴェル版とも呼ばれています。

15世紀のマルセイユ版タロットに基づいて1760年にニコラ・コンヴェルが木版タロットカードを制作し、翌年に出版しました。

世界的なカードメーカーであるフランス・カルタ社の子会社であるヘロン社が復刻版を制作しています。

ニコラ・コンヴェルは1760年にマルセイユでタロットカードの印刷所を設立しました。

印刷所はジャン・バティスタ・カモワンがコンヴェル家の娘と結婚したためカモワン家に引き継がれています。

ニコラ・コンヴェル版の版木はカモワン社が所有しており、カモワン社は後にカモワン・タロットを制作しました。

ジャン・ドーダル版

ジャン・ドーダル版は1701年頃にリヨンで制作された、マルセイユ版タロットの一種で大アルカナ22枚と小アルカナ56枚で構成されています。

・マルセイユ版タロットの断絶

ニコラ・コンヴェルがマルセイユで自ら制作した版木を使用してタロットカードの印刷を始めたのが1760年です。

当時のマルセイユはカードの一大生産地でした。

ニコラ・コンヴェル版の版木には梨の木が使用されており、ステンシルを使って緑や水色を含む様々な色で彩色されているという特徴があります。

ステンシルとは型染めのことです。

型紙の模様を切り抜いた部分に染料や絵の具を刷り込む染色や版画の技法を指します。

初歩的な技法ですがデザインや版画、フランスなどにおける美術印刷では今でもステンシルが採用されています。

現代では謄写版用の原紙や捺染印刷用の型紙をステンシルと呼びます。

ニコラ・コンヴェル版は1860年頃まで同じ版木と色彩で印刷され続けました。

1861年にカモワン家のジャン・バティスタ・カモワンが、ニコラ・コンヴェルの子孫である女性と結婚してカード・メーカーであるコンヴェル家を継承します。

ジャン・バティスタ・カモワンがコンヴェル家を継承した当時、マルセイユにおけるカード・メーカーは2件のみとなっており、1878年にはカモワン家のみとなります。

ニコラ・コンヴェルが制作した版木は1世紀以上使い続けたために摩耗し、最初のような仕上がりにはならなくなっていました。

そこでカモワン家は4色印刷機械を導入します。

1880年に新しいタロットカードが製造されたとき色彩は4色に制限されており、赤と青、黄色と黒の他にわずか緑色のみ使うことができました。

他のメーカーもカモワン家の新しい印刷方法を模倣するようになったため、伝統的なマルセイユ版タロットが断絶してしまいます。

・カモワン・タロットとは

カモワン・タロットはフィリップ・カモワンとアレハンドロ・ホドロフスキーによって制作されました。

正式名称はカモワン・ホドロフスキー版マルセイユ・タロットです。

フィリップ・カモワンがマルセイユ版タロットを本来の形に復元するため、アレハンドロ・ホドロフスキーの協力により1997年に完成させました。

フィリップ・カモワンはニコラ・コンヴェルの子孫でマルセイユ・タロットのカード・メーカーとして現存するカモワン家の唯一の後継者です。

14歳の頃から象徴体系や錬金術、西洋秘教やチベット仏教、ヒンドゥ教などの知識を深めてきました。

数学や医学、コンピュータサイエンスの他に12か国語も学んでいます。

アレハンドロ・ホドロフスキーはチリ出身の映画監督です。

演出家や詩人、作家や俳優の他にバンド・デシネ作家など様々な顔を持っています。

さらにタロット占いの専門家でもあります。

フィリップ・カモワンとアレハンドロ・ホドロフスキーは所有している版木やニコラ・コンヴェル版、ドーダル版などの様々なマルセイユ版タロットを比較検討しました。

数年間をかけて版木の劣化で消失したシンボルや本来あったと考えられるシンボルを復元しています。

版木の劣化によって消失したシンボルは皇帝のカードに描かれていたワシの足元にある卵です。

また2人は本来であれば女法王のカードの法衣に3つ目の十字架が描かれていたと考えました。

フィリップ・カモワンは現在、自身のタロット・スクールでカモワン・タロットの使用方法を教授しています。

講義の内容にはカモワン・コードやカモワンの法則など独自のタロット解釈が含まれます。

カモワン・タロットではマルセイユ版タロットの秘密の教えに関するコードとシンボルが見直されています。

これはアレハンドロ・ホドロフスキーの勧めによるものです。

アレハンドロ・ホドロフスキーは著書「タロットの宇宙」の中で、カモワン・タロットを使用した大アルカナと小アルカナの解釈や合計21になるペアの解釈、独自の3次元タロット・マンダラなどについて説明しています。

ヴィスコンティ・スフォルツァ版の現存するコレクションについて

ヴィスコンティ・スフォルツァ版のタロットカードは世界中の博物館や図書館、コレクターによって分散して所有されています。

特にキャリー・イェール版とブレラ・ブランビラ版、ピアポント・モルガン・ベルガモ版は三大コレクションと呼ばれます。

・キャリー・イェール版とは

1967年にイェール大学の図書館に寄贈されたキャリー家のカードゲーム・コレクションの中にあったデッキはキャリー・イェール版と呼ばれています。

このコレクションはヴィスコンティ・ディ・モドローネ版としても知られており1466年に遡るとされます。

フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの注文によるセットではないかとする学説によると、このデッキが世界最古である可能性が存在します。

ジョルダーノ・ベルティという学者は、このデッキが1442年から1447年の間に製作されたという学説を主張しています。

キャリー・イェール版には一般的な大アルカナだけでなく信仰や希望、慈善のカードが存在します。

これらのカードは教皇と星、女教皇の代わりに加えられたとする説もあります。

一般的なタロットカードの人物札は王と女王、騎士とペイジです。

ペイジとは西洋における小姓を意味します。

中世ヨーロッパでは騎士の城や屋敷に7歳から10代半ばまでの少年が小姓として仕えていました。

キャリー・イェール版には王などの他にも女騎士やメイドが加えられています。

現存するのは11枚の大アルカナと17枚の人物札、金貨の3を除く数札39枚の合計67枚です。

制作当時は86枚で構成されていたと考えられています。

カードのサイズは縦が189mmで横が90mmです。

大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されており、数札の背景は銀で装飾されています。

イェール大学にはキャリー・イェール版の他にも1450年頃のデッキが所蔵されています。

このデッキは剣が王・女王・騎士、棒が王・騎士・ペイジ、金貨は王のみ、カップは女王のみ、その他に魔術師と教皇、節制、星、月、太陽、世界、愚者の合計16枚が現存します。

これらはヴィスコンティ・スフォルツァ版ではなくエステ家のタロットです。

・ブレラ・ブランビラ版

ブレラ・ブランビラ版の名称は1909年にイタリアのヴェネツィアでデッキを取得したジョヴァンニ・ブランビラに由来します。

1971年にはミラノにあるブレラ美術館の目録に記載されていました。

ブレラ・ブランビラ版は1463年にフランチェスコ・スフォルツァ の注文を受けてボニファチオ・ベンボが図柄を描きました。

現在は48枚が現存しています。

現存するカードのうち大アルカナは皇帝と運命の輪の2枚のみです。

カードのサイズは縦が180mmで横が90mmとなっています。

大アルカナと人物札は全て背景が金箔で装飾されました。

数札は全て背景が銀で装飾されています。

現存しているのは金貨の4以外の全ての数札に加えて杯の騎士とペイジ、棒の女王と騎士、ペイジです。

・ブレラ美術館について

ブレラ美術館はイタリアのミラノにありブレラ絵画館と呼ばれることもあります。

15世紀から18世紀のヴェネツィア派、ロンバルディア派などイタリア絵画の名作が数多く収蔵されています。

もともとは17世紀に建てられたイエズス会の施設でしたが、1772年にロンバルディア王を兼任していたマリア・テレジアが取得しました。

さらに1776年には美術アカデミーが設置され絵画の収集が行われるようになります。

後にナポレオンによって美術館として整備されました。

1809年にナポレオンの誕生日を記念して開館し、一般公開されるようになります。1882年には国立美術館になっています。

ブレラ美術館にあるブレラ宮には1764年に開設されたブレラ天文台があります。

ブレラ天文台では19世紀末から20世紀初頭のおよそ40年にわたってジョヴァンニ・スキアパレッリが天文台長を務めていました。

ジョヴァンニ・スキアパレッリは火星の運河を発見したことで知られています。

天文台では現在、天体望遠鏡などの歴史的資料が一般公開中です。さらに天文台の横には1774年に開設されたブレラ植物園も存在します。

・ピアポント・モルガン・ベルガモ版

ピアポント・モルガン・ベルガモ版にはコッレオーニ・バリオーニ版やフランチェスコ・スフォルツァ版という別名があります。

ピアポント・モルガン・ベルガモ版のデッキは1451年頃に制作されました。

最初は78枚で構成されていたと考えられますが現在は20枚の大アルカナと15枚の人物札、39枚の数札を合わせて74枚が残っています。

現存するデッキのうち35枚はモルガン・ライブラリーの所蔵です。

また26枚をアッカデミア・カッラーラ美術館が、13枚はベルガモ地方のコッレオーニ家が個人所蔵しています。

ピアポント・モルガン・ベルガモ版は大アルカナの悪魔と塔のカードが現存していません。

大アルカナと人物札は背景に金箔が使われています。

数札の背景はクリーム色で花と蔓のモチーフによる装飾が見られます。全てのカードには青い縁取り装飾が存在します。

カードのサイズは縦が173mmで横が87mmです。

・モルガン・ライブラリーとは

モルガン・ライブラリーはニューヨーク市マンハッタン区マーリー・ヒルにある美術館と学術機関です。

実業家でアメリカ五代財閥の1つであるモルガン財閥を創設したジョン・モルガンの書物と絵画のコレクションを集めた図書館として1906年に開設されました。

1924年には息子のJ.P.モルガン Jr.が公共法人化し、美術館として一般公開しています。

建物は120万ドルでチャールズ・マッキムによって設計されたものです。

1966年にニューヨーク市指定歴史建造物に指定され、さらにアメリカ合衆国国定歴史建造物に認定されています。

展示品は書物や著名人の自筆書類が多く見られます。

ウォルター・スコットやバルザック、ディケンズやシャーロット・ブロンテなどの草稿の他にベートーヴェンやモーツァルトの楽譜などが展示されています。

・アッカデミア・カッラーラ美術館とは

アッカデミア・カッラーラ美術館はイタリアのベルガモ地方にある美術館・美術学校です。

18世紀の終わりに芸術活動のパトロンで美術品収集家でもあったジャコモ・カッラーラ伯爵のコレクションがベルガモ市への遺産とされました。

伯爵は1796年に死去し美術品と美術館は代理人によって管理されていましたが、1958年以降はベルガモのコムーネが直接監督しています。

コムーネとはイタリア語で「共同体」という意味です。現代ではイタリアの基礎自治体を指します。

イタリアの自治体には日本における市町村のような人口規模による区別はありません。

人口が100万人を超える大都市も1000人以下の村も全てコムーネです。

日本語に翻訳する際には日本の自治体規模に対応させて市町村で表現します。

アッカデミア・カッラーラ美術館の新古典主義の建物は建築家レオポルド・ポラックの弟子であるシモーネ・エリアが設計し、1810年に竣工しました。

アルトベロ・メローネが描いたチェーザレ・ボルジアの肖像画もこの美術館が収蔵しています。


ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットカードとは

ヴィスコンティ・スフォルツァ版は現存する最古のタロットカードです。

15世紀後半の北イタリアで作られたとされています。

図柄はミラノ公のフランチェスコ・スフォルツァなどが画家に描かせました。

ヴィスコンティ・スフォルツァ版は約15デッキ存在します。

世界中の博物館や図書館、コレクターによって分散して所有されています。

現存するカードの中には1484年の日付が入ったものもあります。

ただしそれよりも古く1442年から1447年の間に作られたとされるカードも存在します。

ヴィスコンティ・スフォルツァ版はデッキごとに微妙な違いがあります。

また後のマルセイユ版とも図柄が大きく異なっており番号もありません。

大アルカナに相当するカードの配列も現在と同じかどうかは不明です。

現在の大アルカナは22枚ありますが、ヴィスコンティ・スフォルツァ版には少なくとも20枚が存在しています。

悪魔や塔のカードが欠落しており、最初からなかったのか後から散逸したのかについては意見の対立が見られます。

完全なヴィスコンティ・スフォルツァ版デッキは現存しておらず、コレクションによって同一カードを含む多くの絵札が残されているものがあります。

・フランチェスコ・スフォルツァについて

フランチェスコ・スフォルツァ(1401年7月23日から1466年3月8日)はルネサンス期イタリアの傭兵隊長で、スフォルツァ家最初のミラノ公です。

メディチ家のフィレンツェ支配を確立したコジモ・デ・メディチとは友好関係にあり、ミラノとフィレンツェは同盟を結びます。

15世紀のイタリアは戦乱状態にありましたが、ミラノ公国とフィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国、ローマ教皇国とナポリ王国の五大国が1454年に和平協定を締結しました。

ローディの和と呼ばれる和平協定によって、都市国家間が争う時代が終わります。

その後40年間にわたる平和な時代をイタリアにもたらしました。

またルネサンスも最盛期を迎えることになります。

ニコロ・マキャヴェリは「君主論」において、優れた政府の例と傭兵隊を使用することへの訓戒として度々フランチェスコに言及しています。

・スフォルツァ家について

スフォルツァ家は15世紀から16世紀にかけてイタリアのミラノなどを支配した一族です。

宮廷には学者や芸術家が集められ学芸を保護しました。ルネサンスのパトロンとして知られています。

スフォルツァとは初代フランチェスコの父親であるムツィオ・アッテンドロの呼び名です。

強制的な人物を意味しています。

ルドヴィーコ・スフォルツァ(1452年から1508年)はレオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に招いたことで知られます。

フランチェスコの4男で1476年にミラノ公だった甥のジャン・ガレアッツォの摂政となります。

その後ミラノの事実上の支配者となり、ナポリ王国の王女を娶ったジャン・ガレアッツォを追放します。

1499年にフランス軍の侵攻を受けると1500年にはノヴァーラの裏切りで捕虜となり投獄され、1508年に獄死しました。

色黒だったことから人々からイル・モーロと呼ばれます。イル・モーロとはムーア人(ベルベル人)のことです。

ベルベル人は、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住む人々を指します。

ルドヴィーコの子であるマッシミリアーノ(1493年から1530年)は1512年にミラノ公を継ぎますが1515年にフランス軍によって追放されました。

・ノヴァーラの裏切りとは

神聖ローマ皇帝のハプスブルク家はルドヴィーゴの後ろ盾でしたが、1499年にフランス王国と対立します。

ルドヴィーゴが神聖ローマ帝国に味方したため、1500年にフランス軍がスフォルツァ城を包囲しました。

スイス傭兵の裏切りでルドヴィーゴは窮地に追い込まれますが、他のスイス傭兵の好意でスイス傭兵に仮装して脱出を試みます。

ウーリ州の傭兵隊長だったルドルフ・トゥールマンは500クローネンの報酬に釣られてフランス軍に密告します。

そのためルドヴィーゴはルドルフの手勢によって捕らえられ、フランス軍に引き渡されました。

タロットカードの起源

・タロットカードとは

タロットカード(Tarotcard)は遊びや占いなどに使われています。

瞑想のアイテムやお守りとして使われることもあります。

タロットカードにはそれぞれ意味が込められており、様々な解釈が可能です。

小説などを書く際にタロットカードを使えば、物語を作るきっかけになります。

タロットカードは基本的に78枚1組で構成されています。

78枚のうち22枚は寓意画が描かれた大アルカナです。

残りの56枚は小アルカナと呼ばれます。

小アルカナは1から10までの数札と4枚の人物札で1つのスートが構成されています。

1スートは14枚で4スートあるので、小アルカナの枚数は56枚です。

・起源

タロットカードの起源には諸説があります。

古代のエジプトやユダヤに起源があるとする説も存在しますが、学問的な根拠はありません。

また発祥年代も不明とされています。

実際に残っている最も古い記録は1392年のシャルル6世のタロットです。

ただしシャルル6世のタロットは現存していません。

14世紀から15世紀のタロットカードは貴族や金持ちのために画家が手描きで制作していました。

絵柄や枚数などは現在のものと違いが見られます。

ただし現在の大アルカナと小アルカナに該当する構成は既に存在していたと考えられています。

初期のタロットカードの用途は正確には分かっていません。

ゲーム用や占い用、鑑賞用など様々な説が存在します。

16世紀になるとヨーロッパで木版画が大量に制作されるようになりました。

ちなみにグーテンベルクによる印刷機が開発されたのは1434年から1444年頃とされています。

16世紀に入って木版画が大量生産されるようになると、タロットカードはヨーロッパの庶民にも浸透し始めます。

タロットカードを使用したギャンブルが盛んに行われるようになり、度々禁止令も出されています。

占いにタロットカードが使用されたという記録が見られるのは18世紀以降のことです。

・世界最古の記録

1392年に精神状態が不安定だったフランス国王シャルル6世のために、「シャルル6世のタロット」と呼ばれるデッキが作られました。

シャルル6世の会計帳には「金色や様々な色で描かれた56枚の遊戯札」に関する記述があります。

その記述によると3デッキが作成され代金として6枚のペルシャ硬貨が画家のジャクマン・グランゴヌールに支払われたとされます。

以前はパリ国立図書館に所蔵されていたものがシャルル6世のタロットとされていました。

しかし近年では1469年から1471年頃にエステ家のボルソ・デ・エステ公爵のために作られたという説が有力です。

シャルル6世のタロットは現存していないため、図柄などは完全に不明となっています。

シャルル6世とエステ家について

・フランス国王シャルル6世とは

シャルル6世(1368年12月3日~1422年10月21日)はフランス・ヴァロワ朝の第4代国王です。

在位は1380年から1422とされています。

第3代国王シャルル5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルボンの長男で人々から親愛王、後に狂気王と呼ばれるようになりました。

1388年に親政を開始して摂政による支配を終わらせると、シャルル5世の時代に存在した有能な顧問団のマルムゼを復権させます。

マルムゼの助けを得ながら優れた統治を行ったため、シャルル6世は人々から親愛王と呼ばれます。

しかし1392年に20代半ばで精神病を発病すると治世のほとんどが家臣団やイングランドに左右されるようになります。

精神病を発病した後のシャルル6世は、人々から狂気王と呼ばれました。

・エステ家について

エステ家はオベルテンギ家に起源を持つイタリアの有力貴族の1つです。

11世紀に当主だったアルベルト・アッツォ2世がエステ辺境伯の地位を得ました。

その後子孫が地位の世襲に成功したことが家名の由来とされます。

1196年にエステ辺境伯領はフェラーラ侯爵領に改められたため、エステ家当主の称号はフェラーラ侯となりました。

1242年にはフェラーラの僭主国家体制が確立されると、400年にわたる当地が行われます。

1288年と1289年にはオビッツォ2世がモデナ侯とレッジョ侯を兼ねるようになります。

さらに1452年にはモデナとレッジョが、1471年にはフェラーラが侯爵領から公爵領に昇格しました。

エステ家は学問や美術を保護したことで知られています。

ボルソ・デ・エステは1452年に皇帝フリードリヒ3世からモデナ・レッジョ公の称号を、1471年には教皇パウルス2世からフェラーラ公の称号を授かりました。

甥のアルフォンソ1世はルクレツィア・ボルジアと結婚しています。

ルクレツィア・ボルジアはニコロ・マキャヴェリが「君主論」冷酷な統治者の好例としたボルジア家の出身です。

後のローマ教皇アレクサンデル6世であるロドリーゴ・ボルジアと愛人のヴァノッツァ・デイ・カタネイの子として生まれました。

チェーザレ・ボルジアは兄です。ニコロ・マキャヴェリは「君主論」の中でチェーザレを理想の君主として称賛しています。

アルフォンソ1世の子孫であるマリーア・ベアトリーチェは、1754年にイタリアへの影響力拡大を図るオーストリアの女帝マリア・テレジアの4男であるフェルディナント大公と結婚します。

これによってオーストリア=エステ家が成立しました。

・ミンキアーテ版タロットカードとは

シャルル6世のタロットの次に古い記録とされるのがミンキアーテ版です。

1415年にフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ公爵が秘書のトルトナに作らせたとされます。

ミンキアーテ版もオリジナルは現存していませんが後世に作られた複製が残っています。

配列順や名称、絵柄は現在の大アルカナと異なっているのが特徴です。

タロットカードの枚数や順番、名称や絵柄は15世紀にはまだ確立されていませんでした。