・アレイスター・クロウリーとは
アレイスター・クロウリーは19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したイギリスのオカルティストで登山家です。
自分自身をエリファス・レヴィの生まれ変わりと自称していました。
「法の書」を聖典として新しい宗教・哲学であるセレマを提唱しただけでなく、トート・タロットを考案したことでも知られています。
ロックミュージシャンなどにも大きな影響を与えました。
オジー・オズボーンの「ミスター・クロウリー(死の番人)」はアレイスター・クロウリーをモチーフにした曲です。
レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジやデヴィッド・ボウイ、映画監督のケネス・アンガーなどがフォロワーとして知られています。
ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにも姿を見ることできます。
アレイスター・クロウリーは1875年10月12日にイングランドのウォリックシャー州ロイヤル・レミントン・スパでビール酒造業者の家に生まれました。
両親はブレザレン派のキリスト教徒で、エドワード・アレグザンダー・クロウリーと名付けられます。
ブレザレン派はイギリス国教会から分離したカルヴァン主義の一派です。
アレイスター・クロウリーは1885年にブレザレン派の寄宿学校に入学しますが、厳格なキリスト教教育に反発して退学しオカルトに傾倒するようになります。
1887年に父のエドワードが死亡すると多額の遺産を相続します。その後は遺産だけで生活するようになり、1892年にはパブリックスクールに入学したもののすぐに退学しました。
ケンブリッジ大学卒業間近の1898年には黄金の夜明け団に入団しています。
1906年6月には黄金の夜明け団において内紛が起こり脱退します。
その後は世界各国を遍歴する旅に出ており、日本や上海、スリランカなどを訪問しています。
1904年3月には新婚旅行中のエジプトのカイロでアイワスという霊的存在からメッセージを受けて「法の書」を執筆しました。
1907年に黄金の夜明け団の中心的な魔術師の1人であったジョージ・セシル・ジョーンズと共に魔術結社「銀の星」を結成します。
ジョーンズはクロウリーの協力者として様々な魔術実験を行い、私生活でもクロウリーが離婚する際の信託基金管理者となっています。
1910年に新聞がクロウリーとジョーンズは同性愛の関係にあったと攻撃したため、ジョーンズは名誉毀損裁判を起こしました。
しかしジョーンズの名誉は回復できず、クロウリーとの関わりも終わり魔術の世界から去ります。
1910年にアレイスター・クロウリーは東方聖堂騎士団(Ordo Templi Orientis、O.T.O.)の首領であるテオドール・ロイスから3位階を授与されており、1912年にはグレート・ブリテンとアイルランドの責任者に就任しました。
東方聖堂騎士団のイギリス支部も開設しています。
1920年にはシチリア島のチェファルでテレマ僧院を開設しました。
麻薬や性行為による儀式を行っていましたが、ジステンパーに感染した猫の血を飲んだ男性信者が死亡したため国外退去となります。
その後は各地を転々と放浪します。
1925年に東方聖堂騎士団の「団の外なる首領」(the Outer Head of the Order、OHO)に就任しました。
「セレマの法」に基づいて東方聖堂騎士団を指導することになります。
1947年12月1日にイングランドのイースト・サセックス州ヘイスティングスで72歳で死去しました。
・東方聖堂騎士団とは
Ordo Templi Orientisとはラテン語で「東洋のテンプル騎士団」または「東方の神殿の修道会」という意味があります。
テオドール・ロイス(1855~1923)がオーストリアの化学者で実業家でもあったカール・ケルナー(1851~1905)と共に設立しました。
ドイツもしくはオーストリアで1895年から1906年の間に設立されたと考えられています。
ケルナーが1895年にロイスにアカデミア・マソニカ(メイソン大学)の構想を語ったことが発端とされていますが、確実な設立時期は分かっていません。
1906年にロイスが私的に出版した「オリフラム」誌には、「東方聖堂騎士(der Orientalischen Templer)」という記述が見られます。
東方聖堂騎士団は国際的な友愛結社で宗教団体でもあります。
当初はフリーメイソンを模倣した団体でしたが、クロウリーの指導により「セレマの法」を中心的な教義とする宗教団体として再編されています。
・テンプル騎士団とは
テンプル騎士団(Pauperes commilitones Christi Templique Solomonici)とは中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会です。
ラテン語の正式名称には「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」という意味があります。
日本語では「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」などとも呼ばれます。
十字軍の活動が開始されてから多くの騎士修道会が誕生しました。
騎士修道会は構成員が武器を持って戦闘にも従事します。
特にテンプル騎士団は有名で1099年に第1回十字軍が終了した後の1119年に創設されました。
創設目的はヨーロッパからエルサレムへ向かう巡礼者の保護です。
・第1回十字軍について
1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地であるエルサレムを回復するための軍事行動が開始されました。
第1回十字軍では騎士だけでなく一般民衆もエルサレムを目指しました。
十字軍はイスラム教徒撃破して1099年7月15日にエルサレムを占領します。
エルサレム王国など十字軍国家と呼ばれる国家群がパレスティナに成立しています。
第1回十字軍は西洋諸国が初めて共通の目的のために行動した運動でした。
その後何度も十字軍運動が起きますが、当初の目標を達成したのは第1回十字軍のみです。