トート・タロットとは?

トート・タロットはアレイスター・クロウリーが1942年に女流画家のフリーダ・ハリスに描かせたタロットカードです。

1944年にクロウリーが出版したタロットの解説書である「トートの書」の挿絵として使用されました。

ただし実際にカードが出版されたのは1969年になってからです。

トート・タロットは基本的に黄金の夜明け団の教義に基づいていますが、クロウリーの独自の解釈が加えられました。

大アルカナと小アルカナの名称がかなり変更されています。

大アルカナの「正義」は「調整」、「運命の輪」は「運命」、「力」は「欲望」、「教皇」は「神官」、「節制」は「技」、「審判」は「永劫」、「世界」は「宇宙」とされました。

「審判」は一般的にキリスト教における最後の審判のことです。

トート・タロットではオシリスの時代の終わりとホルスの時代の始まりを象徴する「永劫」となっています。

クロウリーによればオシリスの時代は一神教の時代で、ホルスの時代は自らの内面に神性を見出す時代とされます。

小アルカナは「ペイジ(小姓)」が「王女」、「ナイト」が「王子」、「キング」が「ナイト」となっています。

「クイーン」はそのままです。トート・タロットにはキングとペイジが存在しません。

クロウリーは自身を「獣の主」と称し、「獣の印」と呼ばれる一筆書きの六芒星を使用していました。

トート・タロットには「獣の印」が描かれたものもあります。

同じように黄金の夜明け団から影響を受けたウェイト版では大アルカナの「正義」と「力」の番号を入れ替えて配列がヘブライ文字順になっています。

トート・タロットの配列はマルセイユ版と同じですが、ヘブライ文字との対応関係が入れ替わっています。

黄金の夜明け団ではタロットカードの正位置と逆位置の解釈を採り入れていなかったとされます。

トート・タロットも正位置と逆位置による解釈がありません。カードの背面には薔薇十字が描かれており、展開する前に上下が分かります。

トート・タロットでは生命の樹におけるカードの位置関係や隣接する四大元素との関係によって解釈を行います。

アレイスター・クロウリーについて

・アレイスター・クロウリーとは

アレイスター・クロウリーは19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したイギリスのオカルティストで登山家です。

自分自身をエリファス・レヴィの生まれ変わりと自称していました。

「法の書」を聖典として新しい宗教・哲学であるセレマを提唱しただけでなく、トート・タロットを考案したことでも知られています。

ロックミュージシャンなどにも大きな影響を与えました。

オジー・オズボーンの「ミスター・クロウリー(死の番人)」はアレイスター・クロウリーをモチーフにした曲です。

レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジやデヴィッド・ボウイ、映画監督のケネス・アンガーなどがフォロワーとして知られています。

ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにも姿を見ることできます。

アレイスター・クロウリーは1875年10月12日にイングランドのウォリックシャー州ロイヤル・レミントン・スパでビール酒造業者の家に生まれました。

両親はブレザレン派のキリスト教徒で、エドワード・アレグザンダー・クロウリーと名付けられます。

ブレザレン派はイギリス国教会から分離したカルヴァン主義の一派です。

アレイスター・クロウリーは1885年にブレザレン派の寄宿学校に入学しますが、厳格なキリスト教教育に反発して退学しオカルトに傾倒するようになります。

1887年に父のエドワードが死亡すると多額の遺産を相続します。その後は遺産だけで生活するようになり、1892年にはパブリックスクールに入学したもののすぐに退学しました。

ケンブリッジ大学卒業間近の1898年には黄金の夜明け団に入団しています。

1906年6月には黄金の夜明け団において内紛が起こり脱退します。

その後は世界各国を遍歴する旅に出ており、日本や上海、スリランカなどを訪問しています。

1904年3月には新婚旅行中のエジプトのカイロでアイワスという霊的存在からメッセージを受けて「法の書」を執筆しました。

1907年に黄金の夜明け団の中心的な魔術師の1人であったジョージ・セシル・ジョーンズと共に魔術結社「銀の星」を結成します。

ジョーンズはクロウリーの協力者として様々な魔術実験を行い、私生活でもクロウリーが離婚する際の信託基金管理者となっています。

1910年に新聞がクロウリーとジョーンズは同性愛の関係にあったと攻撃したため、ジョーンズは名誉毀損裁判を起こしました。

しかしジョーンズの名誉は回復できず、クロウリーとの関わりも終わり魔術の世界から去ります。

1910年にアレイスター・クロウリーは東方聖堂騎士団(Ordo Templi Orientis、O.T.O.)の首領であるテオドール・ロイスから3位階を授与されており、1912年にはグレート・ブリテンとアイルランドの責任者に就任しました。

東方聖堂騎士団のイギリス支部も開設しています。

1920年にはシチリア島のチェファルでテレマ僧院を開設しました。

麻薬や性行為による儀式を行っていましたが、ジステンパーに感染した猫の血を飲んだ男性信者が死亡したため国外退去となります。

その後は各地を転々と放浪します。

1925年に東方聖堂騎士団の「団の外なる首領」(the Outer Head of the Order、OHO)に就任しました。

「セレマの法」に基づいて東方聖堂騎士団を指導することになります。

1947年12月1日にイングランドのイースト・サセックス州ヘイスティングスで72歳で死去しました。

・東方聖堂騎士団とは

Ordo Templi Orientisとはラテン語で「東洋のテンプル騎士団」または「東方の神殿の修道会」という意味があります。

テオドール・ロイス(1855~1923)がオーストリアの化学者で実業家でもあったカール・ケルナー(1851~1905)と共に設立しました。

ドイツもしくはオーストリアで1895年から1906年の間に設立されたと考えられています。

ケルナーが1895年にロイスにアカデミア・マソニカ(メイソン大学)の構想を語ったことが発端とされていますが、確実な設立時期は分かっていません。

1906年にロイスが私的に出版した「オリフラム」誌には、「東方聖堂騎士(der Orientalischen Templer)」という記述が見られます。

東方聖堂騎士団は国際的な友愛結社で宗教団体でもあります。

当初はフリーメイソンを模倣した団体でしたが、クロウリーの指導により「セレマの法」を中心的な教義とする宗教団体として再編されています。

・テンプル騎士団とは

テンプル騎士団(Pauperes commilitones Christi Templique Solomonici)とは中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会です。

ラテン語の正式名称には「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」という意味があります。

日本語では「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」などとも呼ばれます。

十字軍の活動が開始されてから多くの騎士修道会が誕生しました。

騎士修道会は構成員が武器を持って戦闘にも従事します。

特にテンプル騎士団は有名で1099年に第1回十字軍が終了した後の1119年に創設されました。

創設目的はヨーロッパからエルサレムへ向かう巡礼者の保護です。

・第1回十字軍について

1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地であるエルサレムを回復するための軍事行動が開始されました。

第1回十字軍では騎士だけでなく一般民衆もエルサレムを目指しました。

十字軍はイスラム教徒撃破して1099年7月15日にエルサレムを占領します。

エルサレム王国など十字軍国家と呼ばれる国家群がパレスティナに成立しています。

第1回十字軍は西洋諸国が初めて共通の目的のために行動した運動でした。

その後何度も十字軍運動が起きますが、当初の目標を達成したのは第1回十字軍のみです。

セレマとは

セレマは「汝の意志することを行え」という規則に基づく一種の宗教で哲学でもあります。

イギリスのオカルティストで登山家でもあったアレイスター・クロウリー(1875年10月12日~1947年12月1日)が、著書の「法の書」を聖典として宗教・哲学であるセレマを提唱しました。

セレマとは古代ギリシャ語のコイネーであるテレーマをラテン文字に転写したものです。

テレーマには「意志」という意味があります。

初期のキリスト教における書物では神や悪魔、人間の意志として使用されています。

フランス語ではテレームになります。

16世紀のフランスにおけるルネサンスを代表する人文主義者で作家だったフランソワ・ラブレーは、著書の「ガルガンチュワとパンタグリュエル」の中で架空の僧院の名称としてテレームを使っています。

第一之書である「ガルガンチュワ物語」は1534年もしくは1535年に出版されました。

巨人パンタグリュエルの父であるガルガンチュアワの生涯を描いています。

物語はガルガンチュアの出生と少年時代から始まります。

ガルガンチュワは隣国の暴君であるピクロコール王との間で戦争となりますが、修道士ジャンの活躍により勝利します。

テレームの僧院はジャンの希望によって建てられます。

僧院には教養のある男女のみが入ることができ、唯一の規律は「汝の欲するところを行え」でした。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」は巨人一族を巡る物語です。

中世の巨人伝説を題材とした騎士道物語のパロディで、パリ大学や教会など既成の権威を風刺する内容を含んでいたため禁書となっています。

テレームの僧院は現実の修道院を風刺するものです。

18世紀になるとイギリスのフランシス・ダッシュウッド男爵(1708年12月~1781年12月11日)が秘密結社「地獄の火クラブ」を結成します。

フランシス・ダッシュウッド男爵はバッキンガムシャー州の裕福な名門貴族で、1753年に黒ミサを行う地獄の火クラブを結成しました。

クラブは1762年に大蔵大臣に指名されるまで存続しています。

バッキンガムシャー州のマーローにあるメドメナムには1201年に建てられたシトー会の修道院がありました。

修道院はフランシス・ダッシュウッドから名前を取ったフラシアン(地獄の火クラブ)と呼ばれるクラブの集会所として利用され悪評が立ちます。

クラブの信条である「汝の意志することを行え」は、ガルガンチュワ物語に登場するテレームの僧院を真似て修道院の入り口に刻まれました。

さらに「汝の意志することを行え」という規則は20世紀にアレイスター・クロウリーが「法の書」で使用しています。

「法の書」はアレイスター・クロウリーが1904年に出版したセレマの聖典の通称です。

正式には「エルの書」もしくは「二百二十の書」と表記されます。

この本には1904年4月8日から4月10日にかけてクロウリーがエジプトのカイロでアイワスから受信したメッセージが記されています。

アイワスはクロウリーに「法の書」を伝えた知性体で、クロウリーは後にアイワスを自分の聖守護天使と見なすようになります。

ウィッカとは

ウィッカはネオペイガニズムの一種です。

ペイガニズムとは自然崇拝や多神教の信仰を包括的に指す言葉で、アブラハムの宗教の視点から使用されます。

アブラハムの宗教とは一神教のユダヤ教とキリスト教、イスラム教のことです。ペイガニズムは侮蔑語や差別用語として使用されることがあります。

1960年代以降のアメリカではペイガンと自己規定する人々による様々な宗教運動が発生しました。

近年では数千人以上の人々がペイガンやネオペイガンを自称し、ペイガニズムという言葉を従来と異なる価値観で使用しています。

ネオペイガニズムは復興異教主義とも呼ばれます。

現代における様々な宗教運動のことです。

ネオペイガニズムという概念はペイガニズムから影響を受けた様々な宗教運動を包括します。

ウィッカもネオペイガニズムの一種とされる新宗教で、古代ヨーロッパの多神教的な信仰や女神崇拝を復活させました。

魔女術(ウィッチクラフト)の中でも多数派を占めるとされています。

ウィッチクラフトとは魔女の魔術や呪い、占いやハーブなど生薬の利用方法などと関連する知識や技術、信仰を集合した概念です。

技術よりも信仰の側面が強いので、日本では魔女宗と呼ばれることがあります。

ウィッカは現代におけるウィッチクラフト諸流派の総称として使用されることがあります。

最初にウィッカという言葉が登場したのは、1954年にイギリスのオカルティストであるジェラルド・ガードナー(1884年6月13日~1964年2月12日)が出版した「今日のウィッチクラフト」です。

ガードナーはウィッチクラフトの伝統を信奉する者をウィッカと表現しました。

しかし1960年頃からウィッカはガードナー派ウイッチクラフトと、よく似た流派であるアレクサンダー派のウイッチクラフトを指す言葉として使われるようになります。

さらに魔女の宗教を包括的に表現する言葉として使用されるようになりました。

ジェラルド・ガードナーは魔女の宗教をウィッチクラフトと読んでいましたが、事実上ウィッカの創始者とされています。

魔術結社「黄金の夜明け団」について

黄金の夜明け団は1887年にイギリスで創設されました。黄金の暁会やゴールデン・ドーンなどとも呼ばれます。

1903年に廃止されますが、現代の魔術の中心であるウィッカやセレマ、テウルギア、スピリチュアルなどの儀式や概念に大きな影響を与えています。

黄金の夜明け団はフリーメイソンの会員であるウィリアム・ロバート・ウッドマンとウィリアム・ウィン・ウェストコット、マグレガー・メイザースによって設立されました。

組織は大きく3つの階級に分かれています。第一の階級である黄金の夜明け団(狭義)はカバラや四元素、占星術やタロット占い、ジオマンシーなどを専門とします。

第二の階級であるルビーの薔薇と黄金の十字架団はスクライングやアストラル投射、錬金術を扱います。

第三の階級は秘密の首領で様々な魔術に熟練したものだけで構成されます。

これら3つの階級を総称したものが黄金の夜明け団(広義)です。

イギリスにおける神秘主義

神秘主義や占い用のタロットカードはフランスで発展しましたが、イギリスでもエリファス・レヴィの影響を受けた魔術結社「黄金の夜明け団」が結成されます。

黄金の夜明け団はタロットとヘブライ文字や7惑星・12星座の関連付けを改めて行っています。ヘブライ文字は「愚者」にアレフ、「魔術師」にベートが当てはめられており、タロットの番号順にヘブライ文字が対応します。

この対応関係はエリファス・レヴィの説とは異なるものです。占星術との対応関係もエッティラから続く伝統的な解釈とは異なります。

黄金の夜明け団は小アルカナのワンド(杖)とカップ、ソードとペンタクル(硬貨)にカバラ創造論におけるアツィルト、ブリアー、イェツィラー、アッシャーの4世界を当てはめました。

さらにキングとクイーン、ナイトとペイジにはコクマー、ビナー、ティファレト、マルクトという4つのセフィラと四大元素である火と水、風と地を当てはめています。

カバラでは世界をアツィルト、ブリアー、イェツィラー、アッシャーの4つに分類します。

4段階で世界が構成されていると考えるのが特徴です。アツィルトは流出界、ブリアーは創造界、イェツィラーは形成界、アッシャーは物質界とされています。

10のセフィラのうちケテル、コクマー、ビナーが作る三角形がアツィルトで至高の世界とされます。

コクマーとビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレトが作る五角形で表される世界がブリアーです。

ケセドとゲブラー、ネツァク、ホド、イェソドが作る五角形はイェツィラーと呼ばれます。

ネツァク、ホド、マルクトが作る三角形はアッシャーを表します。

カバラタロットではアツィルトがソード、ブリアーがワンド、イェツィラーがカップ、アッシャーがペンタクルに対応しています。

パピュスのタロット(ステファン版)とは

パピュス(1865~1916)は19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した魔術師です。

本名はジェラール・アンコースといいます。

若い頃から学業優秀で後にパリ大学の医学部に入り1894年には医学博士号を授与されました。

医学生時代に錬金術に興味を持ち、魔術や東洋思想の研究を始めます。

1890年にはスタニスラス・ド・ガイタ侯爵が設立した「薔薇十字カバラ団」に加入しました。

「薔薇十字カバラ団」は1888年に設立され、19世紀末を代表する魔術師のジョゼファン・ペラダンやスイスの隠秘学者でタロット研究科でもあるオズワルド・ウィルトなどが参加しています。

パピュスはカバラの基本文献である「形成の書」のヘブライ文字と世界を構成する諸要素を対応させるという思想を抱いていました。

この思想に基づいてタロットカードを媒介にヘブライ文字を7つの惑星と12の星座に対応させています。

大アルカナとヘブライ文字の対応関係はエリファス・レヴィの説に則ったものです。

また大アルカナと惑星・星座の関係については基本的にエッティラの説を踏襲しつつ多少修正しています。

「形成の書」にタロットカードとヘブライ文字、占星術の3つを具体的に結びつける記述はありません。

パピュスはエリファス・レヴィが考案したタロットカードとヘブライ文字の対応関係に従ってカードを並べ替えています。

ヘブライ文字のアルファベット順に並べ替えられ、愚者のカードが21番になり世界のカードは22番とされました。

旧約聖書と新約聖書における唯一神の名がヤハウェとされます。

ヤハウェを表すヘブライ語の4つ子音文字は神聖四文字やテトラグラマトンと呼ばれています。

神聖四文字はラテン語で「YHVH」や「YHWH」、「JHVH」、「JHWH」、「IHVH」などと翻字されます。

パピュスは神聖四文字のYHVHを小アルカナのワンドとカップ、ソード、コインに対応させました。

さらに各スートの1から10までの数札に生命の樹におけるケテルからマルクトまでのセフィラを対応させています。

1889年には「ジプシーのタロット」という理論書を発表しました。オズワルド・ウィルトは1889年にマルセイユ版をエリファス・レヴィの説に基づいて修正したタロット22枚を制作しています。

世界で初めてヘブライ文字と対応させたこのタロットは、350セットが限定販売される一方でパピュスの「ジプシーのタロット」の挿絵にも使用されました。

パピュスは1909年に「タロット占術」という本を出版しています。

この本にはエッティラやエリファス・レヴィの影響を受けたジャン・ガブリエル・グーリナが描いた挿絵が使用されていました。

パピュスのタロット(ステファン版)はジャン・ガブリエル・グーリナ(1883~1972)による挿絵に基づいて、1981年にフランスのオリヴァー・ステファンが制作したものです。

エドモン・ビロードとオラクルベリーヌ

エドモン・ビロード(1829~1881)はナポレオン3世に仕え、19世紀のパリで有名だった占い師です。
ヴィクトル・ユゴーの亡命やアレクサンドル・デュマの成功、ナポレオン3世のセダンの戦いにおける敗北を予言しました。

1845年頃には独自のオラクルカードである「オラクルベリーヌ」を考案しています。

またエドモンはエリファス・レヴィの影響を受けて独自のタロットを制作しました。

エドモンのオラクルカードとタロットカードは、1950年代にパリで有名だった占い師のベリーヌ(1924~2002)によって発見されます。

後にフランス・カルタ社よって復刻されました。

エドモンのタロットカードは「グラン・タロー・ベリーヌ」という名称で復刻されています。

大アルカナのデザインは、19世紀の魔術師で作家でもあったポール・クリスチャンによる「魔術の歴史と実践」から影響を受けたものです。

・オラクルカードとは

「オラクル」には神託という意味があり、神様のお告げや思し召しを指します。

オラクルカードには天使や妖精などが描かれており、様々なメッセージが書かれています。

悩みや心配に対処する方法を教えてくれます。

タロットカードもオラクルカードと同じように悩みを解決する働きがあります。

しかしタロットカードのメッセージは間接的です。

カードに質問をしながら意味を読み解く必要があります。

オラクルカードには最初からメッセージが書かれています。

そのためタロットと比較してより直接的に意味を理解することができます。

タロットカードを解釈するには知識が必要ですが、オラクルカードは直感力が重要になります。

エッティラとエッティラ版タロットカード

・世界最初の職業タロット占い師ジャン・バプティスタ・アリエット(エッティラ)

ジャン・バプティスタ・アリエット(1738年~1791年)はエテイヤ、エッティラなどと呼ばれる18世の占い師です。

エッティラは1738年3月1日にフランスのパリで生まれました。

一般的に知られるエッティラ(Etteilla)という名前は、本名のアリエット(Alliette)のアルファベットを反対にしたものです。

タロットカードを使用する世界で最初の職業占い師として有名です。

クール・ド・ジェプランのタロット・エジプト起源説から影響を受けて、1789年に世界で初めて占い専用のタロットカードを出版します。

アンソニー・クール・ド・ジェプランはフリーメイソンの会員で考古学者、牧師でもあります。

1781年に「原始世界(Monde Primiif)第8巻」を出版しました。

この本の中でジェプランはタロットカードが古代エジプトの「トート書」の名残であると主張します。

かなりいい加減な説でしたがエッティラはこの説から大きな影響を受け、1791年に「トートの書の理論と実践」を出版してジェプランのエジプト起源説を補います。

この当時はヨーロッパで古代エジプトが流行しており、珍説が急速に普及しました。

1783年にエッティラは「タロットと呼ばれるカード遊びの楽しみ方(Maniere de se recreer avec le jeu de cartes nommees tarots)」という4分冊の本を出版します。

「タロットと呼ばれるカード遊びの楽しみ方」はタロット占いを中心的な内容とする世界最初の本です。

エッティラのタロットは古代エジプトの賢者ヘルメス・トリスメギストスの教えに基づいており、絵柄など一般的なものとはかなり異なります。フランスのグリモー社が復刻したものが有名です。

1791年にエッティラが亡くなってから8年後の1799年、エジプトのロゼッタでロゼッタ・ストーンが発見されます。

ロゼッタ・ストーンは紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部です。

古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字で記されています。

ヒエログリフは1822年にジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解明されました。これによってタロット・エジプト起源説は完全に否定されています。

エッティラが主張したタロット・エジプト起源説は否定されましたが、エッティラ版タロットの理論書である「タロットと呼ばれるカード遊びの楽しみ方」は後世に大きな影響を残しています。

現在まで続くタロット占いやカード占いの基礎を築いただけでなく、タロットカードと占星術を世界で初めて結びつけました。

エリファス・レヴィはエッティラの説を批判していますが、タロットと魔術を結びつけた業績については認めています。

・エッティラ版タロットについて

エッティラ版タロットは古代エジプトの賢者ヘルメス・トリスメギストスの教えなどに基づいて制作されているため、マルセイユ版とは大きな違いがあります。

例えばマルセイユ版で0番とされる「愚者」はエッティラ版では78番です。

マルセイユ版では5番の「教皇」はエッティラ版では「男性の質問者」とされています。

大アルカナのタイトルはマルセイユ版とかなり異なります。

エッティラによると2番から7番までの大アルカナの順番は世界の創造を表しており、8番は創造後の休息です。

旧約聖書にある世界創造の物語も採り入れられました。エッティラ版8番の「女性の質問者」はマルセイユ版の2番である「女教皇」に対応しています。

9番から12番までは4つの枢要徳を表します。

枢要徳とは古代ギリシャ以来のヨーロッパの中心的な徳目で四徳や四元徳とも呼ばれます。

9番は「正義」で10番が「節制」、11番が「剛毅」で12番が「賢明」です。

マルセイユ版では8番の「正義」と14番の「節制」、11番の「力」と12番の「吊るされた人」に対応しています。

マルセイユ版で12番の「吊るされた人」はクール・ド・ジェブランのタロット・エジプト起源説によれば当時のカード職人によって間違って描かれたとされます。

クール・ド・ジェブランは本来「吊るされた人」は「賢明」を表しており、逆さまの人物ではなく片足立ちだったと主張しています。

そのためエッティラ版では「吊るされた人」が「賢明」になりました。

マルセイユ版2番の「女教皇」はエッティラ版では8番の「女性の質問者」となっており、図柄はエヴァが描かれています。

これはエッティラがヘルメス哲学や錬金術と旧約聖書の世界創造を結びつけたためです。

エッティラ版の1番から12番までは、占星術の12サインが白羊宮から双魚宮まで当てはめられました。

12サインとは西洋占星術で使用される黄道を30度ずつ分割した十二星座のシンボルのことです。

また2番から5番までのカードには四元素である火・水・空気・土を対応させています。

さら逆位置の解読法を最初に採用したのがエッティラ版タロットです。

エッティラ版タロットは神秘主義的なタロットカードの元祖となり一時期マルセイユ版を隅に追いやって主流となったこともありました。